洋17-43 (ショートコメント)

「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」
    

                     2017(平成29)年3月20日鑑賞<テアトル梅田>

監督:ジャン=マルク・ヴァレ
デイヴィス・ミッチェル(ウォールストリートのエリート銀行員)/ジェイク・ギレンホール
カレン・モレノ(自販機製造メーカーの苦情対応係)/ナオミ・ワッツ
フィル・イーストマン(ジュリアの父、ディヴィスの上司)/クリス・クーパー
クリス・モレノ(カレンの息子)/ジューダ・ルイス
ジュリア(デイヴィスの妻)/ヘザー・リンド
2015年・アメリカ映画・101分
配給/ファントム・フィルム

◆最近の邦題は説明調で長ったらしいものが時々あるが、本作はまさにそれ。本作の原題『DEMOLITION』は「破壊行為」を意味するそうだから、本作のストーリー展開を見ていると「なるほど、それでその原題か」と納得できるが、なぜ『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』という邦題にしたのかは全く理解できない。想像するに、この邦題は映画の冒頭、交通事故で死亡した妻ジュリア(ヘザー・リンド)のことを夫の主人公デイヴィス・ミッチェル(ジェイク・ギレンホール)が想っている心境を切り取ったものだろうが、それでも、一体何のこっちゃ!

◆突然の「妻の死亡」という現実に直面しても、それをまっすぐに悲しむことができない夫。妻が運転する車に同乗していた時の事故で、自分は奇跡的に助かったものの、妻は死亡。そんな現実の中で、ウォールストリートのエリート銀行員として毎日忙しく働いていた本作の主人公デイヴィスは一向に涙も出ず、悲しみにさえ無感覚になっている自分に唖然!「自分は彼女を愛していたのか?」「俺の心はどこに行ってしまったんだ!」。デイヴィスがそう考え、悩み始めたのは当然だが、アレレ、このテーマどこかで見たような・・・。
 そう、これは本木雅弘が主演した西川美和監督の『永い言い訳』(16年)と全く同じテーマだ(『シネマルーム38』94頁参照)。『永い言い訳』の場合は、女友達と共に出かけたスキー旅行で妻が不慮の死を遂げたものだから、夫には何の責任もなかったが、たまたまその時に夫が浮気していたからマズい。それが大きな負い目になり、本作の主人公デイヴィスと同じように「自分は彼女を愛していたのか?」「俺の心はどこに行ってしまったんだ!」と考えたのは当然だが、本作の映画のつくり方は『永い言い訳』とは全然違うので、是非比較対照を!

◆本作の監督ジャン=マルク・ヴァレは、『ダラス・バイヤーズクラブ』(13年)(『シネマルーム32』21頁参照)、『わたしに会うまでの1600キロ』(14年)(『シネマルーム36』197頁参照)で有名な監督。そして、本作の主人公デイヴィスは、『ナイトクローラー』(14年)(『シネマルーム36』167頁参照)で「怪演」を見せた個性派俳優。さらに、自販機製造メーカーの苦情対応係という設定ながら、デイヴィスとの間で、一人息子のクリス・モレノ(ジュダ・ルイス)も絡めて、何とも「珍しい男女関係」を見せる女性カレン・モレノにはナオミ・ワッツが扮しているから、本作の話題性は高い。
 そんなこともあって(?)、『キネマ旬報』3月上旬号の「REVIEW 日本映画&外国映画」では、3人の映画評論家が星4つ、3つ、4つをつけている。他方、ネット情報では高評価のものもあるが、「ストーリーが二転三転し、何を描きたいのか曖昧になっていく人間ドラマ。妻を亡くし、暴走する主人公を見ているとイライラしてきます。」と書き、100点満点中33点しかつけていない「映画批評ブログ、ただ文句が言いたくて」もある。

◆本作についての私の評価は後者で、原題の『Demolition』どおり、水漏れをしていた冷蔵庫の解体から始まり、会社のトイレ、パソコンの解体から、ピカピカの自宅の中のすべての家具を破壊し、最後にはマイホームそのものの解体までやってしまうデイヴィスの偏執狂的姿に唖然!
 昔プロレス界に「ザ・デストロイヤー」という「足四の字固め」を武器とした個性的なプロレスラーがいたが、彼の「破壊行為」はプロレスのルールの中でのものだった。それに比べても、本作に見るデイヴィスの「破壊行為」はちょっと異常なのでは・・・?しかも、その破壊行為の意味は・・・?なぜ、そこに「人間の再生」という意義を見い出さなければならないの・・・?

◆デイヴィスの破壊行為の「引き金」になったのは、妻の父親でデイヴィスの上司でもあるフィル・イーストマン(クリス・クーパー)の「心の修理も車の修理も同じことだ。まず隅々まで点検して、組み立て直すんだ。」との言葉。たしかに「再生のためには破壊が必要」というフレーズはよく聞くし、学生運動を体験してきた私には、そのことの実感もある。しかし、私はスクリーン上で見るデイヴィスの破壊行為には全然積極的意義を見い出すことができない。
 他方、デイヴィスとカレンとの男と女の結びつき(?)やカレンの一人息子でかなり変わり者のクリスとデイヴィスとの男同士の友情(?)のあり方もあまりに不自然。交通事故後、妻が運び込まれた病院の自動販売機の故障に苦情をつけたらカレンのような「いい女」から反応があったのは喜ばしいが、まさかそれが本作のような「男女の関係」に進展していくとは・・・?どんな形であれデイヴィスが再生していくのは喜ばしいことだが、本作に見るその展開は私には納得できないことばかりだ。

                                  2017(平成29)年3月23日記